中国の次に駐在したのは、タイでした。親日的な国で居心地は大変よかったです。
特に、中国で、尖閣諸島問題に発する反日運動を経験した直後でしたので、よりそう感じたのかもしれません。
ビジネス的には中国での反日破壊活動を見た日本企業が、工場を他国に移したり、リスクヘッジのために、東南アジアの工場に生産を移管した時期でした。
一方タイの工場は当時、1980年代より中国工場より早くに設立されていたのにもかかわらず、少品種多量生産が主流でした。そこに中国工場からの生産が移管され、多品種少量生産にかわらざるをえませんでした。
システム管理的にみれば、実所要量計算からExcel管理だけで材料手配が実現されていましたが、多品種少量生産の影響で特に生産計画の面で本格的な生産スケジューラの導入が求められた時期です。
月1本のペースでアスプローバは売れましたが、それに伴い問題点も明らかになりました。
- 既存の代理店の導入経験不足
- 顧客の基礎データの不足
- 経済活動の活発化による担当者の転職(代理店・顧客ともに)など
要は、ソリューションニーズはあるが、実力がそれに伴わないという現実です。
では、それでどうしたか?
特効薬はなく、すべての案件に同行してのOJT、日本からプロジェクトベースでSEにきてもらっての後方支援など地道な努力。
顧客に向かう時の殺人的な交通混雑、言語や文化の違いによるコミュニケーションギャップなど、日本では想像できない障壁はありましたが、振り返ってみれば、製品がドンドンうれていくエキサイティングな時期でもありました。
タイの次はインドネシアに駐在しました。タイでのビジネスモデルをそのまま持ち込み、柳の下のドジョウ2匹をねらったつもりですが、そんなに問屋はおろしませんでした。
実際には、インドネシアは、日系企業でのソフトウェア導入の波をすぎた状況にありました。この波は中国でもタイでも経験しましたが、横並びの日系工場が景況の良さを背景に一気にシステムを導入する状態で、中国は2008年、タイは2013年でした。
当時のインドネシアの日系製造業の多くは、インドネシアの3億人の内需を狙っていましたが、こちらも、自動車 バイクなどの需要は飽和状態にあり、交通インフラ整備の遅れから殺人的な交通混雑をうみ、それ以上ののびは期待できない環境にありました。
タイのように、国内需要に代わり、海外輸出へと変革できればよいのですが、インドネシア製の自動車は品質が低く、船で自動車を輸出できる水深の深い港も当時はありませんでした。
コロナで駐在できないベトナム。ミャンマーが後退した中、現在最も期待される市場ですが、人件費の低さからソフトウェア価格が低い、代理店候補のシステム会社がみな、オフショア開発会社など、まだ10年前の中国市場と同様の問題を抱えています。
期待できる点としては、他の東南アジア諸国と比較して、中国同様、国民の上昇志向の強さ 共産党政府によるスピーディーにな経済施策など、類似点も多いですが、中国市場ほどの国内市場はのぞめません。

2000年代より、中国・タイ・インドネシアに駐在。コロナの影響でベトナムには駐在できずにいるが、日々、現地の代理店と情報交換の上、ビジネスをすすめている。
アスプローバ株式会社 営業顧問

「アジア進出を成功に導く レクチャー25講」
株式会社青月社刊